【告知】印象派コラム&イラスト第四回 – ルーヴル美術館について

【告知】印象派コラム&イラスト第四回 – ルーヴル美術館について

アーティゾン美術館で2021/1/10まで開催中の 石橋財団コレクション選「印象派―画家たちの友情物語」展。そのスペシャルサイトで「印象派の画家たちの友情を育んだ出会い、交流の場」をテーマに書いた印象派コラム&イラスト、最終回の第四回目が公開されました。
よろしければサイトにてご一読ください。

第四回目はルーヴル美術館について。

ここからはコラム作成の裏話的な文章です。

ルーヴル美術館を選んだ理由

ラストの場所は、フランスの美術館といえば皆がまず最初に思い浮かべる『ルーヴル美術館』です。

フランス革命後の1793年にそれまで王室や教会の所有であった美術コレクションを国有のものとし、一般市民へ展示する目的で開館したルーヴル美術館。その後も更にコレクションを増やし、拡大を続け、印象派の画家たちが生きていた19世紀後半には、画家たちの交流の場であり学びの場ともなっていました。

印象派の父として知られるマネと踊り子の絵を描いた事で有名なドガ。長い付き合いの二人が出会ったのもルーヴル美術館でベラスケスの絵を模写していたドガにマネが声をかけたのがきっかけでした。
モネも20代の頃に他の画学生と共に、ルーヴルの収蔵作品を模写する申請を提出して許可をもらった記録が残っています。しかしモネがルーヴルで描いたのは、美術作品の模写ではなく、バルコニーから見たパリの風景でした。(このエピソード超モネらしくて好き)

同じ印象派でも対照的なその辺りのエピソードを描くのも面白いかな…と思ったのですが、今回のイラスト&コラムは「印象派の画家たちの友情を育んだ出会い、交流の場」がテーマなので、イラストはルーヴルでの出会いがきっかけで夫婦となったマリー・キヴォロン(結婚後はマリー・ブラックモン)とフェリックス・ブラックモンにしました。

また、第1回、第2回で紹介した画塾やカフェの集まりは主に男性画家たちが中心(カフェの集まりにおいては女性はほぼ参加できなかった)の場だったため、女性画家たちの集う場の紹介もしたいなあと思い、今回のコラムの形になりました。

ルーヴルと当時の女性画家について

コラムでは字数の問題で入りませんでしたが、当時の女性画家は社会的制約や偏見、経済状況のため、男性の画家のように自分の作品で名声を得て成功するのは難しく、依頼を受けて過去の名画の複製画を作成する「模写絵描き」(Les copistes)として生計を立てている人々も多くいました。彼女たちにとってはルーヴル美術館は重要な仕事場でした。

↓ルーヴルで複製画を製作する女性画家を描いた作品たち

Etienne Azambre, Au Louvre, 1894 , Musée du Louvre. Retrouvez les plus belles ph…
art.rmngp.fr

印象派の女性画家として有名なベルト・モリゾ、メアリー・カサット、エヴァ・ゴンザレスはいずれも裕福な家の生まれだったので、自分の作風を追求し、晩年まで画業を続けることができました。(エヴァ・ゴンザレスは出産のため34歳で亡くなってしまいましたが…)
とはいえ、良家の女性に対する社会的制約(一人で自由に外を歩くのはご法度、絵画は淑女としての「手習い」としてはいいが「仕事」にするものではない…など)は厳しく、経済面以外の部分で様々な苦労がありました。

マリー・ブラックモン

マリー・キヴォロンはモリゾやカサットと異なり、経済的にはそれほど恵まれない庶民の家に産まれました。生後間もなく父を亡くし、母親と養父と共にヨーロッパを転々として育ち、17歳の頃にパリ近郊の街で地元の画家に画才を見出され、サロンに出品。画家アングルの弟子となります。ルーヴルへ模写に通ったのはアングルの教えによるものでしたが、彼は女性に対する偏見も強く、「花や静物、肖像画以外のものも描きたい」(※1)という彼女の意思を認めなかったため、彼女は数年後にアングルの工房を去ります。

彼女が版画家のフェリックス・ブラックモンと出会ったのは、その後、複製画制作の依頼を受けてルーヴルに通っていた頃でした。マリーは幅広い人脈を持っていたフェリックスを通じ、印象派の画家であるドガやモネ、ゴーギャンたちと交流を持ち、その影響を受けて才能を更に開花させます。しかし、交流はあったものの印象派の思潮には賛同していなかったフェリックスは、マリーへの印象派の影響を快く思いませんでした。彼は自身の作品に対するマリーの批評を無愛想に跳ね除け、彼女の絵を訪問者に見せることを拒否し、彼女に対してしばしば憤慨した、と彼らの息子のピエールが書き残しています。
そんな日々が続き、精神的にも疲弊したマリーは50になる頃に絵を描くのを辞め、家から出ることもほとんどなくなりました。

マリー・ブラックモンの作品はどれも好きなのですが、国内の印象派の企画展で取り上げられる機会があまりないので、今回の「印象派―画家たちの友情物語」展のメインビジュアルにマリー・ブラックモンの《セーヴルのテラスにて》が使われたのはとても嬉しかったです。

この作品を描いたのが1880年、マリーが40歳の頃。76歳まで生きた彼女が、晩年まで筆を折ることなく描き続けていたらどんな絵を描いていたんだろう…そう思わずにはいられません。

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あとオルセー美術館で見た彼女の素描が素敵だったのではっておきます。

絵が上手い〜〜〜〜〜。この上に印象派的なタッチと鮮やかな色彩が加わることで、光と空気を感じる素敵な絵になってるんですよね。
残っている作品数が少なく個人蔵が多いため、彼女の作品を美術館で見る機会があまりないのが本当に悲しい…

「印象派―画家たちの友情物語」展の印象派イラスト&コラムは今回の更新がラストになります。
大好きな印象派をテーマに、色々と好きに描かせてもらえて大変楽しいお仕事でした。イラストや文章の監修、資料提供などで大変お世話になったアーティゾン美術館の学芸員さんに心から感謝いたします。

「印象派―画家たちの友情物語」展、残りは2022/1/4〜10までの残り少ない期間になりますが、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

にしうら染 2021.12.29

※1…18〜19世紀フランスの社会ではルソーの教えによる影響で、花や静物画や精密肖像画、母子像などの身近な主題が女性画家にふさわしいモチーフと考えられていた。(絵を描きに外に行く必要がないので家庭生活に支障をきたさず、なおかつ市場で男性画家の作品とも競合しないため)

そのため女性の弟子や生徒をとっても、女性にふさわしい主題以外は指導しなかったり、ヌードデッサンには参加させないなど男性と異なる扱いをする画家や画塾が多かった。

展覧会情報

アーティゾン美術館
石橋財団コレクション選「印象派―画家たちの友情物語」展

《会期》2021年10月2日[土]ー 2022年1月10日[月・祝]

※同じチケットで、同時開催されている『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話』展も観ることができます。
※その他、詳細は美術館のwebサイトでご確認ください。

東京駅徒歩5分、学生無料(要予約)。印象派と日本近代洋画を中心に、古代から現代アート まで約3,000点を所蔵。美術の多彩な楽しみをお届けします。
www.artizon.museum

※美術館twitterでも情報更新されています。https://twitter.com/artizonmuseumJP

※来館される際は、事前に美術館の感染症対策ページをご一読ください。

おまけ

ちなみに拙作『モネのキッチン』2巻収録の第7話でルーヴル美術館に行くモネ(&そこでバチバチするドガ)を描いてます。

出典:にしうら染『モネのキッチン 印象派のレシピ』2巻(秋田書店)

単行本を持っている方はよければ見てみてくださいね。
モネのキッチン、もう少し先まで描けたらベルト・モリゾだけじゃなくてメアリー・カサット、エヴァ・ゴンザレスやマリー・ブラックモンと彼女たちを取り巻く状況、それと戦う姿を描きたかったなあ。

参考文献

記事執筆にあたって、以下の書籍を参考にしました。

『印象派の華 モリゾ、カサット、ゴンザレス展』図録(伊勢丹美術館、1995)
『アートに生きた女たち』展図録(名古屋ボストン美術館、2013)
『メアリー・カサット展』図録(横浜美術館、2016)
『ドガ 踊り子の画家』アンリ・ロワレット 著 / 千足 伸行 監修 / 遠藤 ゆかり 訳(創元社、2012)

※記事中の写真・画像の転載や加工、二次利用は禁止しています。

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